こんにちは。

いきなり突然ですが、テレビ東京の「家、ついて行ってイイですか?」という番組が私は好きです。

終電を逃した人に「家までのタクシー代をお支払しますので、かわりに家ついて行ってもイイですか?」というのが番組の趣旨なのですが、毎回見ていて驚くのは、番組でインタビューされる方々の初対面の時の印象と、最後にスタッフとお別れするときの印象が全然異なる事です。

平たく言うと、初対面の時に見せている姿が「表面」で、お別れする前に見せてくれる姿は「素」のようなのです。そして、お別れのときの表情がみなさん、どこかすがすがしさがあるというかすっきりとした顔をされているように思います。

 

この番組を通してカウンセリングの本質について考えてみました。

 

カウンセリングを行う時、最終的にはカウンセリングを受ける人(クライアント)が自分のココロの核心の部分、本音の部分を自らカウンセラーに話してくれる境地に至ることでようやく、クライアントのココロの葛藤が和らいでくる、そうして少しずつクライアント自身が解決に向かっておのずと歩みだしていく。

そこを目指してカウンセラーはクライアントと向き合うのですが、なかなかそれが難しいのです。

 

それはもしかすると、ココロがタマネギのように層状にできているからなのかもしれません(以下は想像図です)。

仮説:ココロはタマネギ(図)

 

①一番表面の目に見えているところに存在しているのが、表出されている「感情」なのでしょうか。

スタッフに声をかけられた時に「えっ!マジで」とか「観たことある~!」と言って喜んだり、逆に困惑したりしているその方々の「表面の部分」です。他人から一番初めに見える「その人」ですので、例えると私たちのココロがまとっている服のようなものなのでしょう。

しなやかでやわらかい布のような感情をまとっている人もいれば、鋼鉄の鎧のような感情をまとっている人もいて、人それぞれですね。

 

②感情の少し奥の部分には(自分から見た)「外の世界への感謝や不満」があるようです。

交渉がまとまってスタッフと一緒にタクシーに乗りマンツーマンで話し始めるとこのステージに入り、「実は中学生の娘がいるんだけどしっかりした娘でさ~」とか、「嫁さんがおっかないんだよ」とか、「仕事が忙しくて大変で~」などなど、外の世界への感謝の言葉だったり現実的な不満の言葉だったりを話し始めます。

私たちが普段会話するときもこのステージで話すことが多いような気もします。嫁さん自慢や上司への愚痴など、このステージにとどまる限り、話していても心理的な負担はあまりなくて楽ですよね。

 

③外の世界への感謝や不満のさらに奥の部分に隠されているのが(外から見た)「自分自身についての言葉」があります。

スタッフがインタビューを受ける人の自宅に入り、話すうちに大分打ち解けてくると自然と、「本当は俺も悪いんだけどね~」とか、「これこれこういう事情があって不安なんだよ~」とか、「妻にはもっと感謝の言葉を言わないとだめですかね~」などの自省の言葉や、普段は他人に見せずに心の奥にしまっているその人の本当の気持ちなどがぽつぽつと少しずつ出てくるように思います。

 

④タマネギの皮を一枚一枚むいていくと最後に出てくる芯のように、ココロの一番深いところに存在しているのが「核心、本音」なのでしょう。

「本当はこうなりたかったんだよね」とか、「実をいうとこうであってほしかったんだよな」といったような、「本当は、、、」という本音の部分を話はじめると、うっすらと涙を浮かべる人もいたりして、番組的にはビートルズのLet it beが流れる場面です。普段の生活ではあまり本音を話す機会がないんですよね。本音を言えた、そしてそれをスタッフに傾聴してもらえた人の表情はやっぱりどこかすっきりとすがすがしくなっているような気がします。

 

なにがすごいか、というと、番組のスタッフはこの一連の流れの中でほとんどしゃべらずに、「へぇ~」「そうなんですね~」「すごいですね~」「本当ですね~」「そうだったんですね~」「なるほど~」といった相槌だけでカウンセリングのような状況が成立してしまっているところです。

 

最初から無理にその人の核心の部分に触れようとすると、ココロは一瞬でクリスタルのように固まり閉ざされ表面しか見せてくれなくなるような気がしますが、誰かに表面の部分から順番にしっかりと受け止めてもらえると氷の塊がゆっくりとけていくように、ココロは自然と奥の核心に向かって進んでいくのかもしれません。