「幸せ」とは私たちの主観的な期待値と現実との差から生じる感情です。
by Yuval Noah Harari(サピエンス全史:文明の構造と人類の幸福)

「何かいいことない?」というセリフが口癖の人がいたら、その人にとっての「何かいいこと」がその人の主観的な期待値なのでしょう。それは、物質的な物やお金だったり、異性や人間関係だったり、SNSでの反応や名声だったり、いろいろなことを私たちは日々期待して生活しているんですね。普段は特に意識しませんが。

と、いうことは、
私たちの主観的な期待値が上がる ≒ 「幸せ」の感情から一歩遠ざかる
という事なのでしょうか。

思春期のお子さんでうつ病から回復された方々の多くが回復期になると似たようにおっしゃられる言葉があります。

「先生、今朝起きてしばらく布団から外を眺めていたんですが、鳥の声が心地よく聞こえて、朝日が昇っていくのもなんだかきれいだな、とぼんやり感じたんです。」

過去へのとらわれや未来への不安のようなものから一旦解放されて、「今この瞬間」を感じることができるようになると、何かを期待するでもない私たちの期待値と美しい世界という現実との大きな差が、「幸せ」という感情になって心の中に湧き上がってくるんでしょうか。

 

私の場合ですが、海外旅行した時にトイレにウォシュレットがついてないとその瞬間、ちょっと不幸になります。トイレに対する私の主観的期待値が上がってしまったのですね。