この世の森羅万象について、ゆがみのない認知に至ることは私たちヒトの力では無理ですよね。神のみぞ知るのでしょう。

私たちが現実を解釈するとき、この世の真実と私たちの解釈との間のずれのことを便宜的に「認知のゆがみ」と呼んでみます。

「認知のゆがみ」を考える時、「対ヒト」と「対モノ」で分けて考えてみます。なぜならどうやら私たちの脳はヒトを解釈するときとモノを解釈するときとでは脳の別の領域が働いているらしいからです。

つまりヒトを解釈する脳機能が高いタイプの人間やモノを解釈する脳機能が高いタイプの人間がいるということです。このことは普段の経験からも感覚的にご理解いただけるのではないでしょうか。

 

さて、ここに自閉性と共感性のバランスという視点からシンプルに仮説を提示してみます。

共感性の高いタイプ(マジョリティーである「ふつうの人」)→対ヒトでの認知のゆがみが小さく、対モノでの認知のゆがみが大きい。

自閉性の高いタイプ(マイノリティーである「独特な人」)→対ヒトでの認知のゆがみが大きく、対モノでの認知のゆがみが小さい

 

共感性の高いタイプの人はヒトに対する認知のゆがみが小さいので、相手の考えていること、言葉の裏に隠されている意図、相手の感情、所属しているコミュニティーの人間関係を相対的に俯瞰してつかむこと、といったことを、相手の言葉だけではなく声の音量、高低、スピード、表情、間合い、アイコンタクト、ボディーランゲージ、表出されている感情、オーラのようなもの、相槌、といった様々な要素を分析して比較的正確に解釈することができます。

自閉性の高いタイプの人はヒトに対する認知のゆがみが大きいため、相手が実際に発した言葉以外の手がかりを解析することが苦手です。

コミュニケーションの要素のうち実際の言葉が担う役割は8%のみであり、残りの92%は言外の要素が働いているといわれていますので、このタイプの人はヒトとのコミュニケーションに困難をかかえやすいといえます(ヒトとのコミュニケーションをスキルとして学べば克服できます)。

 

一方、共感性の高いタイプの人はモノに対する認知のゆがみが大きいので、世の中の森羅万象の現象をピュアな心で静かにみつめて何らかの法則性を見出したり、モノを視覚的にそのまま記憶して保持し続けたりするといったことが苦手です。

生活に必要のない五感から入ってくる情報はノイズキャンセリング機能が働いて削除されますので、いい意味で鈍いというか、脳が疲れにくくなっているのかもしれません。

自閉性の高いタイプの人はモノに対する認知のゆがみが小さく、感覚も鋭敏で五感から入ってくる情報がノイズキャンセリングされずにそのまま認知されます。

ネガティブな言葉でいうと聴覚過敏、触覚過敏、味覚過敏、ということになりますが、感覚の過敏性に引き続く負の情動のコントロールに成功した人は絶対音感や神の舌をもつことができるのかもしれません。

視覚的な記憶力の良さを生かして普通の人にはできないことを成し遂げる人もいるでしょう。世の中の森羅万象に法則性を見出し、生活の質を高めてくれる様々な発明や研究を成し遂げてくれる人もいるでしょう。

コンピューターとネットの世界はこのタイプの人々の探究心を刺激してやまない宇宙なのかもしれません。