私たちの行動は自分で決めている自分なりの優先順位に支配されているようです。

この優先順位も認知のゆがみと同様、対ヒトと対モノでそれぞれ分けて考えてみるとシンプルでわかりやすいと思います。

ちょっと話が変わりますが、私たちは子どもの頃、大人からいろいろ叱られたり怒られたりしつけられたりしましたよね?みなさん覚えておられますでしょうか。どのように叱られたことが頭に残っていますか?

「うそをつくんじゃない」「正しいことをしろ。」「人様に迷惑をかけるんじゃない」「ルールを守れ」などなど、たくさん叱られて育ってきた人も多いのではないのでしょうか。

私の場合は父が(自閉性高めの)全盲の鍼灸師でして、とてもとても厳しく、特に「うそをつくな」というしつけには異常に執着しておりました。私が子どもながらのたわいのないうそでもつこうものなら、そこに座れ、となり、両太ももの内側を青あざができるまで「百つねりの刑」と称した罰を何度も与えられました。

父なりに「頭を殴ることで頭が悪くなるといけない」という考えで太ももをつねる刑罰を考案したようですが、私としてはひどい迷惑な話です。

あまりの痛みに悶絶しながら歯を食いしばって耐えておりましたが、父の良いところは私が中学生になった日を契機に半分大人として認めてくれたことで、以降「うそをつくな」という叱りも「百つねりの刑」もピタリとなくなりました。

父が私を信頼してくれている気がしてとてもうれしかったことを覚えていますし、今でも父のことをとても尊敬しています。このエピソードも私の発達外来ではよく話しているので、当時の痛みも無駄ではなかったのですね。

話が大分それてしまいました。

私たちは大人から授けられた「枠組み」を自分の心の中にしっかりと持って成長します。「枠組み」とは「世の中のルール」です。

心が「枠組み」の外に飛び出してしまうとあわてて私たちは自分を責め、そんな自分ではいけないよ、と叱って枠組みの中に戻ろうとします。

世の中で最も辛い事の一つが「自分で自分を責めること」ですので、大抵の場合私たちの心は「枠組み」の中に戻ることができます。

考えてみればこの「枠組み」は大人から、親から授けられたのでした。親もその親から「枠組み」を授けられたのかもしれません。最初に枠組みを作ったのはいつの時代のご先祖様なんだろう。もしかすると日本人は皆似たような枠組みを共有していて、海外にいても日本人同士だと暗黙のルールを共有することでなんとなく一緒にいて安心するのかしら。

ちょっと妄想してしまいましたが、私の場合は「うそをついてはいけない」という強力な枠組みが父から授けられました。他の多くの人も同様にうそをついてはいけないという枠組みをもらっていると思います。

 

さて、ここからが本題です。

*モノに対する優先順位→うそをつかないこと、正しいこと(間違わないこと)、正確なこと、が最上位にくる。

*ヒトに対する優先順位→????

 

仮説です。

共感性の高いタイプ(マジョリティーの「ふつうの人」)→モノに対する優先順位とヒトに対する優先順位は異なる。大人が授けてくれた「うそをつくな」という枠組みはダブルスタンダードであることを本能的に理解している。

自閉性の高いタイプ(マイノリティーの「独特な人」)→モノに対する優先順位をそのままヒトに対する優先順位にもあてはめている。つまり、ヒトとの関係でも「うそをつかない」「自分の感情に正直にふるまう」「正しいことを言う」「間違いを指摘して正す」「ルールに従う」ということが最優先になる。

 

では共感性の高いタイプの人がヒトに対する優先順位の最上位にもっている暗黙のルールはなんなのでしょうか?

これは自閉性の高いタイプの人は教えてもらわないとなかなかわかりませんが、教えてもらえれば納得します。納得したうえで「でも自分のキャラには合わないから、今のままでいいや」と思われる人もたくさんいますし、それでいいと思います。

 

★共感性の高いタイプの人がヒトに対する優先順位の最上位にもっている暗黙のルール=「相手の安心感を脅かさない

 

例を挙げます。友達に誘われて遊びに行ったところ、友達のお母さんが手作りのプリンを作ってくれました。友達のお母さんがあなたに笑顔でこう言いました。「どう、プリンお口に合ったかしら?」。

(実はプリンはあなたのお口には合わず、ちょっと美味しくないなと感じていました。)さて友達のお母さんにどう答えますか?

これを私は「プリンテスト」と勝手に名づけて時々外来で試しています。

堂々と「お母さん、このプリン美味しくないですよ!」と言い切るお子さんも時々いますので、その場合は「プリンテスト陽性」です。正直でよろしい(笑)。